vol.121 幻京の地・長浜
トキマツさんからのお便り「美しさの考察」
・佐々木洋一さんとの邂逅
・かっこいい人ってどんな人?
・長浜の不思議
・一枚の写真
・自分がいいと思ったものはアート
・充足する心
はい、こんばんは。5月15日、トキマツさんから来ております。
『目風様
最近のアートシリーズの動画ですが、大変興味深く拝見させてもらっています。
わたくしもアートについて自分なりに考えてみる中、御祭舟第1巻限定付録「妖怪」の最後のページにある、子供の頃の古川さんと佐々木洋一さんとの邂逅のシーンでのやり取りが気になって仕方ありません。』
あれね。あれ私も気になってしょうがないんですよ、実は。
『*古川さんの自宅の前で絵を描いている佐々木さんが、
「なんでこんな所描くのかと思うでしょ」
「もっときれいな所あるからねぇ」
「でも本当に美しいのはここなんだよ」
「ここにきみがいるから」
自分なりの現時点での考察では、一般的に美しいとされている、綺麗な自然風景や美しい顔の女性などは、エゴが好む美しさであり、そのため大多数の人がそれを求める傾向にある。しかしなんの変哲もないない日常の風景などに美しさを見出すには、エゴではない本当の自分でないと感じとることが出来ないのではないかと考えました。』
本当にそうだと思います。
あと、女性もそうだよね。若くてピチピチしてるうちはやっぱ可愛い子がいいよ。 プリプリして、肌が綺麗でさあ、顔が整ってて、多少八重歯、歯がガタガタでもいいやねって、若けりゃね。
でも、年取ってきたらもうダメでしょ。
でもね、年取っても綺麗な人とか魅力的な人ってやっぱいるわけよ。そういう人はね、 やっぱ頭がいいし、聡明だし、かっこいいよね。その生き方がかっこいい。
女性でかっこいい人ってあんまいないよ、本当に。男性でもいないけど。で、かっこいい人はやっぱ年とってもかっこいいよ。
うん、 そういう人は綺麗だよね。僕はね、年取ったからかもしれんけど、やっぱそういう、そういう女性がやっぱいいよね。
男の人もやっぱそういう魅力を感じるね。僕男性好きじゃないんだけど、そういう気は全然ないんだけども、かっこいいと思う。やっぱしそういう人は。
でね、この、これ不思議なんですよ。僕も不思議って思ったのは、不思議っていうか、気になって仕方ないと。佐々木洋一さんの話。
あれね、実は描こうかどうかずっと迷ったんですよ。
なんで迷ったかっつうと、佐々木洋一さんと僕っていうのはそんな歳離れてないんですよ、実は。
(佐々木洋一:1940〜2018年。中国で生まれ太平洋戦争敗戦後、長浜に移り住んだ。京都の高校に通っていた昭和三十年代から、絵画修行のため長浜の風景を描く)
それ全然知らなくて、あれ書いた時に1回調べてみたんですよ。
そしたらね、あんまり年離れてないの。だから僕が子供時代に洋一さんがあそこで描いてたわけがないの。
でも、間違いなくあれは僕の、僕というか古川くんの記憶にあるんですよ。かなり印象深い記憶があって、それが。不思議でね、それがね。でね、古川くんの幼い頃ってのは、その頃、その頃っちゅうか、 宇宙全史を始めるまではそんなに思ってなかったんだけど、初めてから思い返すとめっちゃ不思議なことがいっぱいあって。
で、それも色々上の方と聞いてると面白いんですよ。全然発表してないです、実はそのことは。個人的なことだし、聞いてもみんな面白くないだろうと思うから全然発表してないんだけど。
滋賀県の長浜ってとこで生まれたんですね、古川くんは。で、今もう長浜はないんですよ。全部埋め立てられて、 その古川くんが生きた場所ってのはもうないのね。
でも、記憶の中にはそこしかないの。その埋め立てられる前の長浜しかなくて。そこはね、やっぱすごいです。
高野慎三っていう人がいて、ガロの編集やってた人で、 のちに北冬書房とかやり出して、で、幻冬舎、北冬書房で、今なんかまんだらけZENBUで文章書いてますよね。今でもなんか編集やっておられますけども。
あの方が 古川に興味持ってたいただいた時に、長浜に行かれたことあるんですよね。その頃もう長浜ってのはもう観光地化してて、 黒船とかなんとか言って、もうすごいなんか綺麗な観光地になってんですよ。山並を全部綺麗に整えて。
で、1回古川そこ見に行ったことあるんだけど、もう全然やっぱ昔の面影はないですよね。
だから1回ね、漫画に描きたいなと思ってる。もし御祭舟が終わって命があるんなら、まだあるんだったら、 1回描き残したいなと思ってるんですよね。その子供の頃。なんであんな不思議なことがいっぱいあったのかと思うんですよ。
それに関してはもう1つ話があって、僕はそのアルバムってのはあんま取ってないんですよ、本来、 私は。ただ、うちの親とかいろんな人が僕の写真撮ったりしたことがいっぱいあって。もうそれ全部捨てたんですよ。 修学旅行の学校の写真とかアルバムとかあるでしょ。
履歴を全部消そうと思って捨てたんだけども、どうしても気になって、その子供の頃の写真ってのがあって、本当に幼い頃の。 これはね、捨てようと思って、1回ゴミ箱っていうか、その段ボールに入れたんですよね。
で、一応、なんか気になるから、月(つく)さんに、月読之大神に確認したら、ちょっと取っとけと、それは。描くかもしれないからって。
要するに描くよって言ったら、まだ命が存続するってのがあるじゃないですか。 そういうとこは絶対ね、そういう推測ができることは断定できる、断定っつうか、推測ができるとは言わないんですよ、上の方は。
古川とか目風は特にそうなんだけど、頭いいから色々聞き出そうとするわけですよ。覚醒はいつなのかとか。覚醒はいつですかとか言っても絶対教えないですから、だから別のことでこう聞こうとするわけ、頭いいから。でもね、絶対言わないですよね。答えない、それに関しては。
ただ子供の頃の写真に関して、本当に幼い頃の写真、5歳以下とかの写真で、昔の長浜の写真が残ってるんですよ。自分、古川が幼い頃生きたね、この。それは取っとけって言われて、今取ってありますけどね。
だからあの頃は不思議です。だから佐々木洋一さんの話も嘘では全然ないんですよ。本当にあったことなんだけども、不思議ですね。
『自分が中学生の頃、ブルーハーツが歌う「リンダリンダ」を初めて聴いた時「ドブネズミみたいに美しくなりたい。写真には写らない美しさがあるから」の歌詞に何故か真実のようなものを感じたことを思い出しました。
本物のアートを見分ける審美眼を持つにはどうしたらよいのでしょうか?宇宙全史で言われている認識のレベルを上げていくことは必須であるとは思うのですが…』
そうだね。
・形に囚われないこと
・常識に囚われないこと
・社会の風潮に囚われない。
・みんなの言うことに流されない
『若い頃はアートが全く解らずコンプレックスでしたが、40代になり少しだけですが、作品の深さや作者の精神性がなんとなく解かるようになったと思います。』
私はね、そんな難しいこと言ってないんですよ、実は。アートは。
アートはもう人間の数だけあると思ってますから。
自分がいいと思ったものはアート。
ただし、
人がいいと思ったものをアートだと思ってる人がいるから嫌なの。
それはアートじゃないよって、だから言うわけ。
ブランドとかそういうの嫌いなの。
「これいいでしょ、私これ持ってんの、あんた持ってる? あんた知ってるでしょ、このブランド」
知ってるでしょじゃないよ。知らなくていいんだよ、そんなもの。
自分はこれが好き。
誰にも押し付けない。自分はこれを見たら感動してそれで充足する、心が。
それでいいじゃん。
詩、ポエムは戦士の嗜み。慰みって言ったでしょ。あるいは嗜みでもあんだよ。
詩を読んで自分の心を慰めるんだ。それがアートだよ。
誰も慰められないでしょ。自分が感動しただけだから。
『毎日の動画更新本当にありがとうございます。淡々と毎日続けることの凄さを実感しております。これからも楽しみに勉強させてもらいます』
はい、以上です。